2012年
9月
29日
土
本日の朝刊記事、反響。
(事務局)
昨日、取材された記事が、本日の新聞2紙に掲載されました。
▼東日新聞「豊橋の妖怪大集合!6日からハンコ展」http://www.tonichi.net/news/index.php?id=24408
▼東愛知新聞「豊橋に伝わる民話の妖怪ハンコ展」
知り合いやばったり堂の前を通りかかる人から、
「今朝の新聞記事、見たよ!」
「ハンコ展行くよ」
と声を掛けられ、
「(はっ!!)えっ!載ってるんですか!?」
と慌て驚き、新聞を買いに走る、事務局一同。
新聞を広げて、びっくり!
大きな記事と写真を掲載いただきました。感謝感激です。
(新聞記事は「お知らせ」欄に掲載しています)
メールや電話でお知らせくださった皆さん、ありがとうございます!
2012年
9月
28日
金
明日9/29(土)、東愛知新聞&東日新聞、掲載!中日新聞も近日!
わし「吉田藩最後の首切り」の罪人。牛川にあった首切り場で、さらし首になった後も恨みが忘れられず、怨霊になって皆をこわがらせておったんじゃ。
「もうちょっと後だったら、首切り制度がなくなっていたのに!」と怒っていたら、妖怪仲間から「”吉田藩最後の”なんて、プレミアムじゃん!」「そのおかげで、後生有名になれたんだからさっ」なんて慰められちゃって。わしも今じゃ「そういわれりゃ、そうかもな。みな、チヤホヤしてくれるし」なんてね。根は単純でイイ奴なのよ。
2012年
9月
27日
木
明日、プレス発表。お蚕&ごひん
あたし、蚕。三河じゃ昔から「お蚕様」と呼ばれてるわ。三河も昔は養蚕で大分繁盛したからね。あたしの紡ぐ三河生絹は逸品だったのよ。最近みんな、あたしのこと、忘れてない?
さてさて、明日は重大発表のある記者会見日。豊橋市役所でやるんだけど、豊橋妖怪仲間を代表して、ごひんのおじいとあたしの二人で行ってきます!
あたしらが温めてきたこと、ようやく世に発表できる日がくるわ。明日の夜にHPでも内容を発表するから、楽しみに待っててね♪
2012年
9月
26日
水
秋の実り、椀かせ岩の出番じゃ。
わし、椀かせ岩。三河と遠州の国境、谷川校区に「立岩」ってあるんじゃが、それがわし。
昔、銀作っちゅう村人が「稲刈りのおひまちの椀がたりない。どうしたものやら…」と困っておっての。見かねてわしが「ハイッ」と椀を貸してやってから、村人全員がわしを「椀かせ岩」と呼ぶようになったんじゃ。
わしの貸した椀に汁ものをよそうと、大層おいしくなるらしいぞん。だもんで、わし、嫁御やばあさんらにも大人気なんじゃ。
2012年
9月
25日
火
飾り付け担当、真田幸村登場。
わし、真田幸村。吉田では「大根流し」でわしは有名じゃな。真田紐を編んで生計を立てとった幸助という農民が、喘息をなおしたい一心で、大根に”真田幸村様行”と書いて川に流したのが始まりじゃ。
幸助は信心深い働き者じゃったから、もちろん願いを聞き届けたぞ。喘息を”えいや”っと治してやってな。いまでも杉山町にある真田神社では、12月12日になると加持祈祷が行われとるぞ。病に苦しむ多くの人間たちが、わし宛の名前を書いた大根を流してな。師走はわし、毎年ちと忙しいぞん。
2012年
9月
24日
月
伊予の国に、買い付けに。
私、買い付け担当のお弓橋のお弓。ブログを2、3日休んじゃってごめんね。なんと、私たち豊橋妖怪ご一行で、伊予の国に「豊橋妖怪ハンコ展」の商品買い付けに行ってたの。
(いまは寄り道して、阿波の国に滞在中。祖谷・大歩危小歩危のこなきじじいに挨拶してきたんだ。この世界も、上下関係ってあるからさ。”展示会が始まる前にドンに筋を通しとこう”って、みんなでね。
2012年
9月
21日
金
一里塚の大蜘蛛、豊橋中央図書館に出現!
わしは一里塚の大蜘蛛。三河と遠州の国境に一里山というところに住んでおったが、悪くて有名だったぞん。いまでいう東細谷、豊橋市と湖西市の境、愛知県と静岡県の境くらいにあるところじゃ。
江戸のころは、東海道っちゅうゴールデンルートを旅人たちがわんさか通っておったから、襲いがいがあったのん。茶屋でいっぷくする旅人や馬の血を次から次にいただいておったわい。
が、しかし!あるとき、若い武芸者に茶屋の主人が俺様の退治を所望してな。大立ち回りのすえ、「ぐさっ!」と一刀のもとにやられてしまったんじゃ。その後、「大蜘蛛には大変苦しめられたけんど、やっぱり可哀相だで」と、村人が一里塚跡にわしの供養のために祠を建てて弔ってくれたんじゃ。それからわしも、豊橋の県境を守る守り神的な妖怪になったぞん。
2012年
9月
20日
木
大西の馬頭観音、twitterに挑戦!
わたしは牟呂校区にある大西の馬頭観音。
昔々、つかえていた馬方の主人の身代わりになって、野狼に喰われてしまったの。片足だけ残してきれいさっぱり。
「可哀相に」と憐れんでくれた主人が作ってくれたのが、観音様の姿をした私。身体は観音様、頭は馬。で、みんな私のことを「馬頭観音様」と呼ぶようになったのよね。
地元では結構有名で、自分で言うのもなんだけどかなり立派よ。豊橋妖怪の中ではナンバーワンの美貌だわね。うふふ。
2012年
9月
18日
火
庄八塚、豊橋妖怪ハンコ展グッズに悩む。
わしは、花田校区の庄八塚の火の玉。人間だったころは、庄八とよばれとった。
「お上の威光をかさに威張り散らし、村人たちを厳しく取り締まった。その上強欲で私腹を肥やし、貧しい人々からは、容赦なく年貢を絞り取った」
あはは、結構な憎まれようじゃったな。「村の難儀を救うには、庄八を殺すしかない」と村の若者に闇討ちされちまったんじゃ。それ以来、火の玉になって、村を祟っておったんじゃが、毎年正月の八日に供養式をしてもらうようになってからは、おとなしくなったぞん。
2012年
9月
17日
月
お弓橋、二人でお茶を買い付けに。
私、牛川の「お弓橋」のお弓。となりは三味線のお師匠。私のいい人ね。
私、庄屋の娘でお嬢だったんだけどさ、お稽古の師匠と恋仲になっちゃって。でも、あの頃は、そういうの、許してもらえない時代だったんだよね。
お師匠に会うためには、橋を渡んなきゃなんないんだけど、それを父親が「絶対渡らせない!」って!もう嫌んなって、お師匠と二人、井戸に身を投げて死んじゃった。そう、心中ってやつ。
いまはあの世で毎日イチャイチャしてて超ラブラブ。”人間どもに見せつけてやれ!”って、火の玉になって夜な夜な橋の袂に出てます。それで、その橋が「お弓橋」って呼ばれるようになったんだよね。
2012年
9月
16日
日
あたし、機ご池のお光。狐塚へ挨拶…
あたし、機ご池のお光。みんなは「お光っちゃん」って呼ぶよ。
下地校区に住んでるんだけどさ、嫌な姑にいびられて、機織りを背負って、池に飛び込んじゃったんだ。信じらんない、あの姑っ!
数百年経ってるけどいまだに忘らんなくて、祟って出ちゃうんだよね。
「雨の日にはあの池では今でも”ギーガシャン”って音がする」って人間たちは怖いみたいだけど、みんなも一度聴きに来るといいよ♪
2012年
9月
15日
土
わしゃ、ごひんさま。チラシを配ったぞ。
わしゃ、三河湾に昔から住んどる、火の玉。
ここ数百年は人間どもに「ごひんさま」と呼ばれとる。
年寄りたちは、「狗賓様」とか「御賓様」とか呼ぶのぉ。
ちなみに、わしゃ、臭いものが嫌い。
小僧がもっておるのは臭い大便じゃ。あぁ、嫌ッ!
わしが大きく登場する「豊橋妖怪ハンコ展」の
チラシとポスターが、本日より
豊橋のあちこちに掲載されるぞん。
よく見ておくように。じゃ、また。